白い切符の右端が、黒くなった。
量子駅の改札まで、あと二十tick。
screenには、今朝いちばんの転送予約が出ている。
logical ticket UNKNOWN STATE
departure tick 20
detected disturbance 1
direct readout not performed
「一枚しかないから困るんだ」
イトは壁のcopy pressを起動した。
枚数のdialを、3から10へ、10から100へ回す。
「百枚にして、多数決でいちばん多い答えを残す」
pressの蓋が開いた。
その横で、白い切符の模様が一度だけ大きく揺れた。
読めば分かる。でも、読んだ状態には戻せない
白い切符は、最初から0か1のどちらかが隠されている紙ではない。
このclosed fixtureでは、未知の一量子ビット状態を次の記号で置く。
|ψ> = α|0> + β|1>
αとβを知らないまま、まったく同じ|ψ>を独立した切符へ完全にcopyすることはできない。
これがno-cloning theoremの入口だ。
「じゃあ、元の切符を読んで、同じ答えを百枚に書けばいい」
イトがreadout leverへ手をかける。
ピコはleverを止めず、隣の表示だけを点灯した。
direct measurement
obtains one outcome: 0 or 1
destroys the original superposition for this run
ここで直接測れば、一つの結果は得られる。
しかし、守りたかったαとβをそのまま知ることはできず、同じ未知状態へ巻き戻す手掛かりも残らない。
「copyも駄目。中身を読むのも駄目。壊れた場所は、どうやって見つけるの?」
三枚へ増やすのではなく、三枚全体で一枚にする
マコトが、copy pressの下にある小さなdrawerを開けた。
中には、三つのdata pearlと二つのinspection pearlが並んでいる。
ピコが、この回だけのteaching codeを表示した。
encode
α|0> + β|1>
-> α|000> + β|111>
三つのdata pearlは、三つの独立copyではない。
三つを合わせて、一つのlogical qubitを表す。
個々のdata pearlはphysical qubitだ。
ユイが二つのinspection pearlへ札を付けた。
left check q0 and q1 have same parity?
right check q1 and q2 have same parity?
「data pearlそのものの0か1を聞く代わりに、隣同士の関係が変わったかを聞く」
二つのinspection pearlは、答えの中身ではなく、関係のずれをlampへ移す。
その組み合わせがsyndromeになる。
理想化した一回の検査なら、こう読める。
syndrome 00 no bit flip detected
syndrome 10 q0 candidate
syndrome 11 q1 candidate
syndrome 01 q2 candidate
駅の天井から警報が落ちた。
tick 8
injected error X on q1
current state α|010> + β|101>
departure tick 20
真ん中のdata pearlだけが反転している。
だが、これは検証用fixtureの裏側にだけ出る正解だ。操作席からは見えない。
よくある誤解:量子誤り訂正は、量子状態をたくさんコピーして多数決する
古典的なrepetition codeなら、同じbitを複数回書いて、多数決する説明ができる。
量子版の三量子ビットbit-flip codeも、000と111の形を使う。
だから、見た目だけなら「量子状態を三枚copyした」と言いたくなる。
しかし、符号化後は三つ全体に論理情報が載った共同状態だ。
未知状態の独立copyを三個作ったわけではない。
途中でdata pearlを一枚ずつ直接読み、多数決するわけでもない。
測るのは、どの論理値だったかではなく、符号空間からどうずれたかを示すcheckだ。
発車まで十二tick。三つの選択
copy pressは開いている。
direct readout leverにも手が届く。
二つのparity lampは、まだ消えたままだ。
A:百枚へcopyしてから、多数決する
未知状態の完全な独立copyを作る手順が成立しない。
pressを動かしても、守る対象と同じ百枚は得られない。
B:三つのdata pearlを直接読み、二対一で決める
0か1という結果は得られる。
ただし、論理状態を直接測ってこのrunのsuperpositionを失う。
C:copyとdirect readoutを閉じ、二つのparity checkだけを測る
syndromeから単一bit flipの候補を決める。
このcodeが訂正できる範囲だと確認してから、候補のphysical qubitだけへ補正をかける。
「中身を当てるんじゃない」
イトはcopy枚数のdialを100から0へ戻した。
「どこで関係が壊れたかを聞く」
イトが閉じた二つと、開いた二つ
イトはcopy pressの蓋を閉じる。
direct readout leverへ赤いcoverをかける。
それから、left checkとright checkを同時に開いた。

二つのinspection pearlが光る。
left check 1
right check 1
syndrome 11
data readout 0
tick 12
両方の関係に触れているのは、真ん中のq1だ。
ピコは答えを言わない。
装置の許可panelを、イトの前へ出すだけだ。
candidate correction
X on q1
apply?
YES / NO
イトがYESを押した。
q1へ、もう一度Xをかける。
α|010> + β|101>
-> α|000> + β|111>
結果は「黒い点が消えた」では終わらない
補正後、同じ二つのcheckをもう一度測る。
post-check syndrome 00
direct data readout 0
logical fixture test PASS
corrections applied 1
departure tick 16 / 20
黒い点は消えた。
それでもイトは、見た目だけを成功条件にしなかった。
syndromeが00へ戻ったこと。
direct data readoutを一度もしていないこと。
裏側で答えを持つclosed fixtureのlogical testに通ったこと。
三つを記録して、初めて改札へ切符を渡す。
白い切符は、tick 16で発車railへ入った。
この三枚模型が直せないもの
ユイは、成功記録の下へ赤字を残した。
protected in this fixture
one bit-flip error
not protected here
phase error
two simultaneous bit flips
faulty syndrome measurement
faulty correction operation
この三量子ビットcodeは、量子誤り訂正全体の入口にすぎない。
二箇所が同時に反転すれば、一箇所の誤りとして誤訂正することがある。
位相誤りも、このcheckだけでは守れない。
実機ではbitとphaseのcheck、繰り返すsyndrome測定、測定誤りを含むdecoder、論理操作そのものを壊れにくくする設計が要る。
物理量子ビットを増やせば自動的に安全になるわけでもない。
追加したqubitと操作も誤りを持つため、code、誤り率、距離、測定回数、decoderの条件が揃って初めて、logical errorを小さくできる。
白い切符の次に、黒い保管箱が届いた
発車音のあと、copy pressのdrawerが勝手に開いた。
中にあったのは、百枚の白い切符ではない。
鍵穴が三つ付いた、黒い保管箱だった。
表面に日付が刻まれている。
OPEN AFTER 2046
その下には、小さな通信logが貼られていた。
encrypted traffic collected today
decryption capability unknown
data lifetime 30 years
migration owner none
イトは、今度は鍵穴へ手を伸ばさなかった。
先に、保管箱を作った人の名前を探す。
三つのdata pearlは暗いまま、二つのinspection pearlだけが00を示していた。
守れたのは、一枚のcopyではない。
中身を暴かずに、壊れた関係だけを見つけた一回の手順だった。
次回、ピコルート第104話。
イトは、未来の金庫へ新しい鍵だけを挿した|耐量子暗号は一晩で移せる?

