ラボの古いテレビは、砂嵐さえ映していなかった。
黒い画面の右上で、白い丸だけが回っている。
町の図書室では、マコトがこの画面を大きなスクリーンへつなぎ、イトの「ルーターの道を見つける実演動画」を待っていた。
実演開始まで、あと四分。
イトのノートパソコンには、三つの灯がついている。
アップロード完了。
低い画質は再生できます。
高い画質を処理しています。
イト
送信は終わったのに、どうして向こうの画面は空っぽなの?
ユイ
動画のページは開けます。でも、細いケーブル札の文字はつぶれています
ピコ
送ること、見られる形へ変えること、見つけてもらうことは、同じ灯じゃないんだ
そのとき、マコトから短い連絡が届いた。
「スクリーンはまだ空だ。準備できたら、動画の住所を送って」
イトは、回り続ける白い丸を見た。
四分が、三分になった。
残り三分、完成していない動画
ピコが机を指でなぞると、ラボの床に準備室の模型が開いた。
入口から入った一本の動画が、軽い映像、少し細かな映像、もっと細かな映像へ分かれていく。軽い映像の札だけが、先に出口へ滑り込んだ。
高い画質の札は、まだ歯車の中にある。
これはラボが仕組みを見せるための模型だ。現実の経路を操作しているわけではない。ただ、YouTubeの公式案内にも、アップロード後は低い画質から先に利用でき、高い画質の処理はあとまで続く場合があるとある。
イトは、低い画質の動画を全画面にした。
声は聞こえる。イトがケーブルを持ち上げる大きな動きも見える。
でも、動画のために一時間かけて描いた「家の中」と「家の外」の細い札は、色の四角にしか見えなかった。
イト
これを大きなスクリーンに出したら、せっかくの札が読めない
ユイ
高い画質の処理灯は動いています。でも、終わる時刻は表示されていません
ピコ
待てばきれいになるかもしれない。でも、開始時刻の方は待ってくれないね
二分五十秒。
イトは、失敗した動画を消すための赤い印へ手を伸ばした。
けれど、指は押す直前で止まった。
消せば、高い画質を作っている途中の歯車まで止まる。
送り直しても、同じ準備が最初から始まる。
おすすめは、待ち合わせ場所ではない
「おすすめに出れば、マコトさんも見つけられるかも」
イトはそう言って、自分の動画が並ぶのを待った。
おすすめ棚を更新する。
一度。二度。三度。
棚に現れたのは、イトの動画ではなかった。
ユイの画面には動画編集の続きが並び、マコトの画面には古い家電の修理動画が並んでいる。同じ時刻に開いても、棚は同じ顔をしていなかった。
YouTubeのおすすめは、ホーム、次の動画、Shortsなど表示場所が分かれ、視聴履歴や検索履歴、登録、評価など複数の手がかりを使う。イトが「この人へ今届けたい」と思うだけで、一本の道が予約される仕組みではない。
ピコは、おすすめ棚から伸びる光を床へ落とした。
光は何本にも枝分かれし、それぞれ別の入口へ向かっている。マコトのスクリーンをまっすぐ指す矢印は、一つもなかった。
ユイ
今分かっているのは、低い画質なら再生できることと、マコトさんが住所を待っていることです
ピコ
おすすめは見つけるきっかけにはなる。でも、時間を決めた待ち合わせには使えないね
イト
きれいになるのも、棚に出るのも、どちらも待つしかない。でも住所は、ぼくが送れる
残り二分。
イトが選べる三つの道
机の上に、三枚の札が並んだ。
- 消して送り直す
- 高画質まで待つ
- 今すぐ直接送る
一枚目なら、失敗した気分は消せる。けれど、準備は最初へ戻る。
二枚目なら、細い札まで見せられるかもしれない。けれど、開始には間に合わないかもしれない。
三枚目なら、今ある動画をマコトへ届けられる。けれど、ぼやけた画面を「自分の完成」として見られてしまう。
イトは、三枚の札を左から一度ずつ触った。
それから「今すぐ直接送る」を裏返した。
イト
きれいな動画を見せたかった。でも今日は、ぼくの完成より、向こうで始められることを選ぶ
ユイ
私は処理灯を見ています。止まったら伝えます
ピコ
選んだ道が本当に届くか、最後まで一緒に見よう
イトは公開済みの動画から、動画の住所――URLをコピーした。
送信先の名前と、貼りつけた住所を一度ずつ確かめる。
そして、自分の手でマコトへ送信した。

ぼやけたまま、始まった
光の模型では、動画の小さな断片が順番に流れ始めた。
途中には、動画を一時的に持つ配信棚と、もっと奥にあるGoogle側の配信地点が見える。どの場所から届くかをイトが決めることはできない。実際にも、YouTubeのキャッシュ可能な通信は地域のGoogle Global CacheまたはGoogleの中核拠点から配信される場合があり、配信場所は性能などをもとにGoogle側が決める。
だから「いつも一番近い棚から届く」とは限らない。
マコトのいる図書室では、回っていた白い丸が消えた。
スクリーンいっぱいに、イトの動画が映る。
輪郭は甘い。細い札は読めない。
それでも、イトの声と、ルーターから外へ伸びる大きな青いロープは見えた。
マコト
届いた。細い札は読めないけれど、声と大きな道は見える。札の部分は僕がその場で説明して、始めるよ
イト
ごめん。そこが一番きれいに作れたところだったんだ
マコト
見えなかったことも伝える。届いたふりはしない。でも、何もない画面のままにはしなくて済んだ
図書室の実演が始まった。
回線や画面などの視聴条件によって、YouTubeの再生画質は自動で変わることがある。今回は、止まらず届いた代わりに、細部を失った。
イトの端末では、高い画質の処理灯がまだ回っている。
あとで細かな映像を見られるようになっても、実演が始まった最初の一分は戻らない。
マコトから届いた会場写真には、大きなスクリーンと、ぼやけた二枚の札が写っていた。
イトは、その写真を消さなかった。
おすすめの矢印は、別の棚へ
実演が終わるころ、床のおすすめ模型がもう一度動いた。
太い矢印は、相変わらず別の動画棚へ流れている。
その横で、イトが選んだ細いシアンの一本だけが、マコトの画面まで途切れずに光っていた。
「おすすめに出なかったから、届かなかったんじゃない」
イトは、ぼやけた会場写真の隣に、動画の住所を書いた小さな札を置いた。
「ぼくは、待つ道じゃなくて、送れる道を選んだんだ」
高い画質の処理灯は、まだ消えていない。
きれいな完成は届かなかった。
それでも、遠くの画面から返ってきた「始めるよ」の一言だけは、青い一本の道を戻ってきた。
次回:一本ではなく、作品の棚
動画棚の奥で、次の扉が開いた。
そこには一本ずつの動画ではなく、作品名の下に第1話、第2話、字幕版、吹替版の箱が並んでいる。
一番端の箱には、配信が終わる時刻を示す細い針もついていた。
イトは、ぼやけた会場写真をノートへ挟み、作品棚を見上げた。
「一本を届けるだけじゃないんだ。どの作品の、どの話を、いつまで見られるかも決めるの?」
ピコが、作品棚の鍵を回した。
次回、ピコルート第88話。
アニメ配信はどうやって1話を届ける?

